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MESSEGE FOR TRAINER

乗馬は、人と馬とが、主従関係を厳格にした環境下で、充実した時間を共有するスポーツなのです。

また、動物同士(人間と馬)が持つ感性でコミュニケーションするものです。 このことが実感できたとき、人間は本当の乗馬の喜びを体験できるのではないでしょうか。この感性の中には、言葉と違って虚飾が入り込めない純粋さがあり、この素晴らしい乗馬に親しむことによって、ピュアな自分を発見できるのかも知れません。

馬の調教訓練とは、馬に幸せという観念を教えることだと私は考えております。
自然界には、幸せという観念が存在しない、唯一、人間が作り出したものだと仮定しますと、はたして幸せとは何なのでしょうか。
それは、坂道を登り、やっとの思いで峠を越えて、下り坂にさしかったとき、ホッとタメ息をつく、そんな感じが幸せのおおもとだろうと考えるのです。
馬を調教するということは、ある試練を馬に与えるということですから、言うならば馬にとって坂道を登っていくのと同じだということができます。
馬が、訓練(試練)に耐えて、ある能力が備わったとき、峠を越えて下り坂にさしかってホッとすることができれば、それは、馬にとって、幸せという観念が誕生したということになるのではないでしょうか。  この試練という上り坂に、馬にとって、下り坂に相当する達成感を味わえるものがなかったら、それは動物の虐待ということになってしまいます。

人間が、もし、良いコミュニケーションのもとに馬に接してあげなければ、馬は、訓練によって、幸せという観念を持つと同時に、不幸という観念も持ってしまっているので、馬を不幸にしてしまうということになるのです。  馬に乗る人は、すべてこのことを認識して、いつも理想的な馬とのコミュニケーションを心がけることが大切なのです。

言葉にしてしまうと、たいへん難しくなってしまいますが、たとえば、馬になにか指示を与え、それによって馬がどんな反応をしたかをよく見、それによって、馬をほめるか叱るという対処を馬にフィードバックする。また、それに馬が反応を見せれば、その反応に対して、的確な指示を馬へ送る。  この繰り返しを、怠りなくしていけさえすれば、馬と良いコミュニケーションができるはずなのです。
Eldorado Ranchオーナー 土岐田勘次郎